【事件の概要】
 元建設会社社員の被告(22)が、2010年3月1日、宮崎市内の自宅で長男(当時生後5か月)の首を絞めて浴槽に沈め窒息死させたあと、妻(当時24)と同居していた義母(当時50)の頭をハンマーで殴り脳挫滅で死亡させ、その後長男の遺体を資材置き場に埋めたとして、殺人と死体遺棄の罪に問われた事件。本件は宮崎地裁で裁判員裁判で審議され、2010年12月7日、求刑通りの死刑判決となった。
 なお判決は、情状酌量を求めた弁護側の主張を全面的に退け、「永山基準」にそって検討し、犯行動機が自己中心的で、犯行も計画的で冷酷かつ残虐などと結論づけている。
 
「永山基準」と奥本事件
石塚 章夫
1 奥本事件

 奥本事件は、2010年12月に宮崎地裁(裁判員裁判)で死刑が言い渡され、2012年3月に被告人の控訴が棄却されて、現在最高裁に係属中の事件である。もしこの事件で弁論が開かれれば、あるいは「永山基準」が見直され、死刑事件についての審理が大きく変わるかもしれない。暴行を受けていた義母だけでなく、妻子を含めた3人を殺害したことが量刑上大きく考慮された。
 
2 一審の量刑理由

 一審判決は、【犯行に至る経緯】として次のように言う。「被告は、自衛隊を退職したことや長男の育児、自身の両親のことなどについて、同居していた義母から度々叱責を受けていた。そういったことが重なり、被告は仕事が終わった後も車の中で過ごして帰宅せず、自由に遊べる独身時代に戻りたいなどと考えるようになった。今年(平成22年)2月22日、出会い系サイトを通じて知り合った女性とメールをしていたことが妻に発覚して責められた。同23日には、遅く帰宅した被告は妻と口論となった後、義母に激しくののしられながら、両手で頭を数回たたかれた。同24日には義母と謝罪し合ったものの、『こんな生活嫌だな』と考えるようになり、自殺や離婚、自分が失踪することを考えたが、実家の両親に迷惑を掛けるなどとして、同25日に家族3人の殺害を決意した。」
 次に【犯行の動機】への評価として、「義母の言動には被告には納得しがたいと思われるものがあり、実家の両親への非難は被告にとって理不尽と考えられるもので、義母との生活が嫌になったことは同情の余地がないとはいえない。一方、客観的にみると被告の行動、態度に原因がある場合も認められ、義母だけに問題があったと決め付けることはできない。また、動機は義母からだけではなく、妻や長男との生活すべてから逃れたいというものであって、義母の言動のみが義母殺害の動機となったとはいえないし、義母の言動は妻と長男の殺害の動機としては何ら酌むべきものではない。」
 さらに、量刑上大きな考慮事情となった【犯行後の情状】と【その他の事情】に次のようなものがある。「被告は、終始一貫して犯行発覚を防ぎ、罪責を免れようと、冷静に隠滅工作を行っており、大変悪質である。また、隠滅行為までにパチスロをしたり、出会い系サイトで知り合った女性とメールをして会ったりして時間をつぶしている。これらの行動からは3人を殺害したことへの後悔の念はみられず、人命を軽視した態度の表れと言わざるを得ない。被告の反省の言葉は表面的にとどまり、動機の詳細は『分からない』を繰り返す等、事態の重大性の認識や内省の深まりは乏しい。家族3人を殺害した重大性や自己中心性、人命軽視の態度から、若く、前科がないことも過大に評価できない。被告の両親から遺族に葬儀費用など334万円が支払われたが、結果はあまりにも重大で遺族が峻烈な処罰感情を抱き、量刑で過大評価できない。」
 その上で、「永山基準」を適用し、死刑を選択している。
 
3 ある新聞記者の肉薄

 控訴棄却判決の6日後、奥本事件に関し、「宮崎家族3人殺害・連載企画『愛していた』」と題する記事が共同通信社から配信された。記者は奥本被告と相当回数手紙のやりとりをしかつ面会して記事を書いていた。
 「なぜ3人を殺したのか。宮崎刑務所の面会室。その問いに透明な板の向こうで、奥本章寛被告は言った。『あのとき義母から逃れる方法は、それしかなかったです』(中略)それだけで3人も、なぜー。その疑問に奥本被告は繰り返した。『義母から逃れたかった』と。判決の認定によると、奥本被告は09年3月、くみ子さんの妊娠を機に結婚し、宮崎市内で義母と同居。やがて、感情の波が激しかったという義母からの叱責が始まる。『雄登の抱き方が悪い』『若いのに寝るな』貯金がなく、結納と結婚式を見送った後から義母の怒りが自分に向いたと奥本被告には思えた。事件6日前の深夜。義母は、仕事から帰宅した奥本被告の頭を何度も殴った。『あんたの両親は何もしてくれん』。そして、故郷を侮辱する言葉を言った。『音を立てて、何かが壊れて・・・。もう限界だった』殺害した妻子への感情を一審の被告人質問で問われるたびに『愛していた』と答えた。しかし家庭内では、育児を通じて義母と妻子のグループができ、家での居場所はないと感じていたという。『親子3人で暮らしたかった。ただそれだけです』。でも、それはかなわない。ならばー。裁判員に説明しようと思った。だが、被告人質問では多くの質問に『分からない』と答えてしまった。『〈分からないなら、分からないでいい〉と言われていたので、すぐに答えられない質問は全部〈分からない〉と答えたんです』。判決を読んで、一審をやり直したいと思ったという。福岡高裁宮崎支部の控訴審で実施された心理鑑定で、ベテランの臨床心理士は、奥本被告の心をこう描いた。『義母の叱責と生活苦、睡眠不足で心身が極度に疲弊し、短絡的になりやすかった。義母と妻子が一体で、奥本被告だけ別世界にいるような孤独を感じていた』奥本被告も『すっと言葉にできなかったことが、ここには書いてある』と感じた鑑定書。22日の控訴審判決は、その内容をほとんど受け入れ、奥本被告の反省も認めた。しかし、結論は同じ死刑。動機の認定は変わらず、特にくみ子さんと雄登ちゃんの殺害を『いわば理由なき殺人にも匹敵、強い非難に値する』と断罪した。」
 そして、連載の3回目に次のような記事がある。
「2010年11月24日、宮崎地裁の204号法廷。奥本被告の裁判員裁判は5日目を迎え、検察側の被告人質問がおこなわれていた。『出会い系サイトで知り合った女性とメールをするくらいなら、妻に連絡しようと思わなかったんですか』『・・・』『分からないなら、分からないでいいですよ』『はいわかりません』家族3人を殺害した動機や、当時の状況を問われた奥本被告は、何度も『わかりません』と繰り返した。本当に分からない質問もあった。しかし、検察官が時間を気にしていることに気付き、即答できなければ『わかりません』と答えた。・・・午前から夕方までの約5時間。検察側と裁判所側からの質問は、計1400を超えた。・・初公判から求刑まで6日間だった一審宮崎地裁の裁判員裁判。奥本被告には『時間も短く、思いを伝えくれなかった』という思いが残っている。・・・」
 
4 鑑定書

 控訴審で提出された鑑定書(正確には「調査報告書」)の概要に接することができた(吉川好昭「情状鑑定の実際と課題」『青少年問題』647号)。この報告書が一審で出されていたら、死刑判決は回避されていたと私には思える。一審判決が死刑を選択した岐路と思われるのは以下のような点であった。「ゼロにしたい→自分だけ自由になりたい」、「分からないの連発→反省が表面的」、「義母はともかく、妻子殺害の理由がわからない」 そして、上記報告書は、それらについて、慢性的睡眠不足による視野狭窄、意識狭窄を起こした状態下で自己危急反応、乱発反射により、義母から受けた自己が破滅してしまうという強い恐怖感から逃れようとした結果、「3人が一体」という思いに至り、3人殺害に及んだなどとしてきちんと説明している。裁判員がこれを読んでおれば死刑選択まで踏み切れなかったのではないか、そして永山基準とは別に「更生可能性」という基準を導入する余地があったのではないか。
 
5 死刑求刑事件と情状鑑定

 一審公判での「分からないの連発」は、このような動機の解明は公判廷という一問一答形式では図れず、十分に時間を掛けた専門家による調査が必要なことを示している。裁判員が死刑という難しい選択を迫られる場合には、このような情状鑑定を必須とすべきだと私は考える。
 

 
  【記事バックナンバー】
  最近の刑事再審の動き   川崎 英明
  「永山基準」と奥本事件   石塚 章夫
  少年法と少年の死刑   斉藤 豊治
 
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