第3回講演会(2015年12月20日)
第3部 「市民から視る刑事裁判――裁判員経験者と語る」
登壇者 田口 真義 氏(「Lay Judge Community Club〜裁判員経験者によるコミュニティ〜」事務局)
      コーディネーター 飯 考行 氏(専修大学准教授)
 コーディネーター役を仰せつかりました専修大学の飯考行と申します。大学では法社会学という科目を担当し市民の司法参加を研究テーマの1つとしております。
 今回は、裁判員経験者から視る刑事裁判のありかたについて、田口真義さんからお話を伺います。田口さんは東京ご出身で、不動産業を営まれています。2010年に保護責任者遺棄致死罪が争われた事件で裁判員を務められました。その後、各種の提言、裁判員経験者同士の交流その他、様々な活動を率先して行われている、日本で一番有名な裁判員経験者です。
 きょうは田口さんに裁判員経験、裁判員経験後のご活動、現在と今後の取組みについて語っていただき、最後にご来場の皆様の質問にもお答えいただきたいと思います。
 
初めての刑事法廷

 まず、裁判員選任以前と裁判員選任後の裁判所の印象についてお話いただけますか。
田口 僕の本業は不動産業なので、敷金返還訴訟や貸室の明渡し訴訟で裁判所には何度か足を運んだことがあったのですが、刑事裁判との関わりは皆無でした。裁判員になって初めて行った刑事法廷の印象は、テレビドラマとか映画のようで、日本にこのような空間が本当にあるんだと思いました。
 「このような空間」というのはどのような意味でしょうか。
田口 使われた法廷は著名事件であるとか大きな事件を扱う、東京地裁で一番大きい104号法廷です。入ってみると、そこだけ特殊な重力が働いているようで重苦しく、満席の傍聴席で人いきれもするが、ただ静まり返っている。なんとも不思議な空間でした。
 審理内容のわかりやすさについてはいかがでしょうか。
田口 そうですね、多くの経験者が語るように冒頭陳述では検察官優位というのを感じました。滑舌が悪いとか聞き取れないとか、そういった法廷技術とは別な議論で、弁護側不利というのがあります。
 私自身の体験から申し上げますと、やはり検察官の冒頭陳述は大変わかりやすく、わかりやす過ぎて逆に気持ち悪かったという印象がありました。初公判の後に、評議室で「よくできた推理小説を聞いているみたいだよね」という感想が出ました。
 裁判はかなりの日数に及び、さらに証人も結構多かったと聞いています。理解は十分できたのでしょうか。
田口 9日間に、被告人を除いて19名、被告人質問を入れて20名のやりとりがありました。裁判員裁判は初めての経験なので、それが多いのか少ないのかっていうのは「そういうもんなんだな」としか理解ができませんでした。後になってから、他の裁判員裁判では、3日や4日、証人は被告人の両親だけ、というものもあるのを知りましたが、当時はその差は全く感じませんでした。
 
判決公判ギリギリまで評議を行った

 
 評議の充実度についてはどうですか。十分議論ができましたか。
田口 当初、結審日の午前に最終弁論、評議はその日の午後と翌日丸一日で予定が組まれていました。
 丸一日の評議の日の夕方頃に「保護責任者遺棄致死の致死を認定せずに保護責任者遺棄に留まる」というところまで行きました。次は量刑の判断ですが、前日から続く議論のなかで僕も含めて皆すごく疲れていました。さらに、裁判官からは「閉庁時間の5時までに結論を出さなきゃいけない」という空気がすごく漂っており、僕は内心「危ない、あやういな」と感じていました。そこで、裁判長に許可を得て皆さんに「ここからが一番大事なところだから、疲れて適当に惰性で決めるようなことをしないでください」と申し上げて、休憩をとって量刑の判断に入ってもらいました。ただ、やはり5時過ぎても最終的な結論が出なかったんです。それで、僕は裁判長に評議時間の延長を申し入れて、皆から同意してもらってやりました。結局、裁判所を出たのが、6時半〜7時近くになっていたと思います。そこで一旦、暫定的に量刑が決まりましたが、「本当にそれでよいのかどうかっていうのを、もう1回皆さん考えてきてください」ということで一晩考えてきてもらい、翌日も午前中一杯使ってすりあわせて、3時の判決公判ギリギリまで議論をしました。
 かなり長期の裁判でも熱心に取り組まれたという様子が窺われるのですが、他の裁判員も同じように熱心に取り組まれていたのでしょうか。
田口 裁判員のなかには主婦の方やお仕事をされている方もいました。それぞれに事情があることはわかっていましたが、それでも僕は評議時間の延長をお願いしました。これは今なお良心の呵責があります。ですが、皆さん「えっそんなの困る」っていう話にはならずに同意してくれました。
 裁判員という市民が裁判に参加したことで、裁判官だけの裁判に比べて違うところがあったと思われますか。
田口 実際には、裁判官だけの評議と裁判員が入った評議をパラレルで見ないとわからないかもしれませんが。評議が終わって、判決公判の前に僕は裁判長に「勝手に、自分たちで進めてしまってすみません」と謝ったんです。そしたら裁判長は「いやいやこれでいいんです」ということをおっしゃっていました。
 田口さん個人として特に重視されたポイントは、量刑だったでしょうか。
田口 2年6ヶ月という期間、被告人の自由を奪うわけですから責任重大なことで、僕が重視したのは被告人のその後です。起きてしまったことは顧みなければいけないんですが、その次のこと、被告人自身や、被告人の家族やその周辺の人々が次の犯罪を起こさないために、ということを考えました。被告人にはお子さんがいらっしゃったんですけど、例えばお子さんが非行から始まり次の犯罪を生み出すようなことになってしまったならば、自分たちが裁判員として関わった意味がありません。これ以上、累が及ばないようにすることを心がけておりました。
 
司法のユーザーであるからこそよい司法制度を望む

 裁判が終わった後、田口さん自身は裁判員の経験をよかったと思いましたか。
田口 裁判所からのアンケートには「よかった」と間違いなく書きました。ただ、その時は何がどうよかったかと聞かれても全く答えられなかった。ただ「よかったです」としか言えませんでした。
 田口さんは一裁判員経験者として生活されていたわけですが、著名な経験者になりました。裁判員を終えられた後の経過についてお話いただけますか。
田口 まさに「裁判員を経験して何がよかったのか」っていうのを知りたくなったっていうのが率直な原動力なのかもしれません。一市民の自分の人生を振り返って考えてみたら、自分や自分の身近な人が被告人になることがあるかもしれないということを思いました。そして、僕や僕たち市民は司法のユーザー、司法の使い手です。法律家の皆さんは司法のサービスを提供する側ですが、それを使うのは僕たちです。司法のユーザーとして、今のままの司法制度、裁判員制度が導入されたからそれだけで司法制度がよくなるとは思えなくて、よい司法制度であってほしいなという思いから裁判員経験者同士の交流に繋がりました。要するに自分と同じような感覚、感想を持った方々と一緒に何かできればなと思ったということです。
 
裁判員経験者との交流

 通常は裁判員を務め終わるともうそれでおしまいで、多くの場合、裁判所はその事件が控訴されたかどうかも教えてくれない、ケアがない、放っておかれる状態だと思うのですが、そういった点で寂しさのようなものはあったでしょうか。
田口 日常生活に戻ったら誰も聞いてくれなくて、言っていいものかどうかもわからない。俗に言う守秘義務の壁みたいなものに対する自粛。そういうものも、なきにしもあらず、です。
 同じ事件をやった裁判員経験者とは裁判が終わった後、そのまま生き別れになってしまいました。約2週間、裁判所で缶詰になって一生懸命議論して、人格は否定しないけれども喧々諤々と言い合っていた仲なのに、終わったらばそれっきり。空しさと言ったらいいんですかね、そういったものは感じておりました。
 それで、同じ裁判体で裁判員を経験された方と、新聞記者を通じてまたコンタクトがとれるようになり、徐々に裁判員経験者の方々とつながりが出来て議論が深まっていく。このような経過ということでしょうか。
田口 そういうことです。
 裁判所に、裁判員経験者と連絡を取りたいと問い合わせたのですよね。
田口 はい、僕が裁判員をやったのが2010年の9月。ちょうど裁判員制度が運用され始めて1年と1ヵ月。裁判所のほうも助走中というか、いろんな意味でおっかなびっくりやっていた面がありました。最初は、裁判員同士の連絡先の交換とかそういうのは「『するな』とは言わないけれどもあまり好ましくありません」という言われ方をしたんですね。それが僕のせいかどうかはわかんないですけども、今は運用が変わりました。
 具体的には、裁判所の職員さんに同じ裁判体の人たちと連絡を取り合いたいと訴えました。1ヵ月〜2ヵ月ほど時間を置いて、「裁判所が真ん中に入って連絡先を斡旋するということを始めます」っていう回答をもらいました。
 
裁判員からの「提言書」を全国の裁判所へ

 
 裁判所も徐々に経験者交流について前向きに変わっていったということかもしれません。ここから、そうした裁判員経験者同士の交流を受けてのご活動のお話に移っていきたいと思いますが、まず1つ目に対外的な活動として「裁判員制度と周辺環境における提言書」です。このなかには「13の提言」というものがあります。刑事訴訟手続に関わるような公判前整理手続の提示とか、証拠開示とか、その他刑務所見学の実施などがありますけれど、これはどういった経緯でまとめられたものなのでしょうか。
田口 他の事件の裁判員経験者の方々と交流を重ねていくなかで、自分たちの体験から「もう少しここがこうだったらいいよね」という意見が出てきました。
 出来上がった「提言書」には、専門家からすると一笑に付されるような内容があろうかと思います。例えば、「弁護人、検察官に質問ができる」なんてことができないことは僕もわかっています。ただ、裁判中、自分たちの肌感覚でいうと「検察官は何が言いたかったんだろう」とか「弁護人は何を意図してそういう周りくどい聞き方をしているんだろう」とかっていう率直な疑問が出てくる場面がありました。こういう意見が結構積もってきて、これは文章にしたほうが整理がつくかなと思ってまとめてみたところ、面白い内容になってきたので、皆で本格的に議論を始めて作ったというのが経緯です。
 田口さんたちが「提言書」を作られた当時、私は青森県の弘前大学にいました。弘前大学で裁判員関係のシンポジウムを開くと、田口さんは毎年のように遠路お越しいただいたので、以前から面識がありました。
 その当時、私が驚いたのは「提言書」を作っただけでなく、それを全国の裁判員裁判を行っている地方裁判所その他の関係機関に手渡しに行ったということです。先々の反応はどうでしたか。
田口 記者会見で「全国に手渡しに行く」と言ってしまったんです。途中、言わなきゃよかったかな、なんて思ったんですけど、言った手前やらなきゃいけないなと。
 「手渡しに行く」と言った理由ですが、結局、裁判員って日弁連の会長、最高裁の長官や検察庁の長官と裁判をやるわけではなく、やるのは裁判所の職員、裁判官とです。要するに、裁判所にいる現場の人たち、その人たちにまず届けたいと、それが直接届けに行きたいという理由、目的だったんだろうなと思います。最初は東京地方裁判所に行きました。
 届け終わるのにだいたい3ヵ月ぐらいかかったんですけれど、なかなか楽しい旅をしました。裁判所計60か所には熱量差のようなものがありました。そもそも事件数の差と言ったらよいのか、扱う事件の数によって、雰囲気が違っていました。北陸のほうとか裁判員裁判が年間10件あるかないかぐらいのような裁判所に行くと「本当に来たんですか」というふうに驚かれました。また、立ち話で済まされるところもあれば、きちんと会議室を用意しお話をじっくり聞いてくださるところもあったり。これは温度差というよりかは単純に地域性だというふうに捉えておりますが。
 
LJCCの発足

 また、現在に至るご活動としては、「LJCC〜裁判員経験者によるコミュニティ〜」をつくり、裁判員経験者同士で各地で集まっておられます。私が驚くのは、鹿児島でもどこでも裁判員経験者の方からLJCCに連絡が来ると、田口さんを含む有志の方が赴いて、全国各地で経験者の交流会を開いていることです。交通費はどのようにされているのでしょうか。このようにかなりアクティブなご活動を行うLJCCについて、発足動機や活動方針について伺えますか。
田口 はい。ちなみに全国は自費で行きます。さっきの、全国の裁判所に「提言書」を持って行ったものも自費ですし、飯先生がいらっしゃった弘前大学に行ったのも自費で行きました。
 LJCCは、「提言書」を全国に持って回ったその年の8月に発足させました。「提言書」を持って地方を周っているなか、各地で裁判員経験者の小さな声が聞けました。「思ったことや感じたことはあるんだけれど言う場所がない」あるいは「どう言ったらよいかわからない」、「守秘義務の壁があって言ってよいかどうかもわからない」など。そんな小さな声にこそ耳を傾けなければいけない、100%反映できないまでもきちんと耳を傾けることが大事なんだろうなと感じました。既に東京や大阪などいわゆる都市圏には裁判員裁判に関する市民団体、専門家が含まれている市民団体っていうのはあったんですけど、地域に偏らずに全国規模で動けるような、裁判員経験者だけでやる団体をつくって、そういうところにアクセスしてもらえれば、ものすごくアットホームな、ざっくばらんな茶話会みたいなかたちで交流が図れるんじゃないかなと思いました。そして、交流をするなかで、さきほどの「提言書」につながったような新しい言葉や新しい感覚を、まだ裁判員経験について話したことのない経験者の方から語ってもらい、さらに次の活動に生かして行ければよいんじゃないかなという思いで、LJCCを立ち上げました。
 
『裁判員のあたまの中―14人のはじめて物語』出版

 「共有・還元・公益」を理念に、裁判員の経験者と共有し、社会に還元して、提言活動等で公益を図るということですね。加えて、『裁判員のあたまの中―14人のはじめて物語』(現代人文社、2013年)という、田口さんが多くの裁判員経験者の方にインタビューされた本が刊行されています。出版の経緯をお聞かせいただけますか。
田口 はい。これはまさに交流活動をしていく中で、世間的には、やれ守秘義務だなんだと言われていますけども、それを飛び越えたかたちで、裁判員経験者には一人ひとり人生の背景があって、その人が裁判、司法制度に関わることで生まれる言葉をどこかで誰かが記録しなければいけないと思ったんです。この段階では、裁判員経験者の言葉をまとめた論文はあったんですが、1つの本になるっていうものは存在していませんでした。やるんであれば、裁判員経験者だけでやったほうがよいんじゃないか、というのがやり始めですね。
 この本を拝読して、各裁判員経験者の方と、生活ぐるみとまでは言いませんけれども、かなり人間関係をつくったうえでやりとりをされているので、本音を引き出しているというのでしょうか、田口さんはインタビュアーとしても優れた資質をお持ちであると拝察しました。
田口 ありがとうございます。本の表紙には僕が話を聞いているときの様子がデザインされています。自分のことながら「なんてリラックスしすぎて、人の話を聞いているんだろうか」と思います。特に、死刑事案に関わられた方の話なんかも3本ほど入っておりますので、そういった方々の話を聞く姿勢ではない、だめな姿勢です。でもだめな僕だから話してくれたのかなというところもあります。そこはひとつの強みと思いたいです。
 
「死刑執行停止の要請書」の提出

 いま死刑のお話が出ましたけれども、田口さんたちは2014年2月に「死刑執行停止の要請書」を出されました。そして、皆様ご承知の通り、ちょうど一昨日(2015年12月18日)、裁判員裁判で死刑判決が出た方の執行がなされ、同日、田口さん始め経験者の方が率先して死刑執行に対する抗議の要請を出されています。そもそも昨年の「死刑執行停止の要請書」を出された経緯と一昨日のことについてお話いただけますか。
田口 これは目を背けてはいられない状況です。裁判員裁判で一般人が重大事件に関わるということはその対象に当然死刑が入ってきます。だから死刑というものについて、我々一般市民が向き合わなければいけません。
 問題意識の発端で申し上げますと、死刑判断に関わった裁判員経験者の方々のお話を聞いてみますと、死刑について何も知らないんです。裁判官から裁判員に対してなされる説明は、「確定してから6ヶ月以内に執行します」と「執行方法は絞首刑です」の2つだけです。当たり前と言えば当たり前なんですね。裁判官はそれしか説明できない。あるいは裁判官もそれ以上のことは当然知らない。評議室のなかで、死刑について何にも知らないまま死刑判断をしている、そんな恐ろしいことがあってよいんでしょうか。実際に死刑判断に関わった裁判員経験者が、「死刑について何か知っていますか」と聞かれたときに何も知らないということに気付いた。このまま、そういう状況のなかで死刑判断をするのは絶対によくありません。一昨日、裁判員裁判で死刑判決が出た方の執行がありましたけど、誰も死刑について知らないまま判断されて執行されてしまったならば取り返しがつかない、というのが要請書の発端です。
 要請書の要旨は3つ。1つ目は「死刑の執行停止」です。廃止しろと言っているわけではありませんし、是非を問うているわけではありません。まずは立ち止まろうということです。そのうえで2つ目「死刑に関する情報公開」をしてほしい。情報公開とは何ぞやとよく聞かれるのですが、ざっくり申し上げると死刑に関する全てです。そして、周辺のことも全てつまびらかにしたうえで、3つ目「国民的議論」をすべきではないでしょうか。国民的議論についてですが、よく国会での議論は国民の代表が行うものだから国民的議論だと言われるのですが、政治家の皆さんは就職禁止事由があるから裁判員になれないんです。つまり、国会議員の人たちが一生懸命議論をしたところでその人たちは死刑判断に関わらないんです。死刑判断に関わるのは国会議員になっていない、私たち市民なので、私たち市民レベルできちんと議論をしていかなければならない。その議論の材料になる、捏造や改ざんのない情報をきちんと公開してほしい。そういったものがないうちは、まず立ち止まるべきで、怪しいまま、危ういままで執行するのは是としないっていうのが要請書に賛同してくださった、僕を含めて20名の裁判員経験者の意見です。そのなかには死刑判断に関わった方もいらっしゃいました。それで去年の2月に「要請書」を法務大臣に提出しました。それにも関わらず、一昨日に死刑が執行されました。死刑判断に関わった裁判員経験者からは、「おそろしいことが起きてしまった、あってはならないとは言わないが、まだ夢見心地と言ったらよいのか、現実として受け止めることのできないくらい混乱している」という率直な感想が寄せられました。こういった感想を受けて、このまま黙っていては雪崩式に今後も、裁判員裁判だろうと裁判官裁判だろうと関係なく死刑の執行がなされていく、それだけは何とか止めないまでも一矢報いなければいけないというのが、昨日の抗議要請に繋がりました。昨日(2015年12月19日)の新聞で扱っていただいております。
 
被告人の更生支援

 その他にもご活動があり、LJCCで20回程度交流会を重ね、刑務所見学に何回も行っていたり、私の勤める専修大学の講義も含めて出前講義や企画講義をされています。さらに田口さんは、個人的にも不動産屋で扱っている物件に住んでいた被告人の更生支援も行っておられます。
田口 先ほども申し上げましたが、裁判員を経験したことによって、自分が被告人になることがあるかもしれないし、自分の身近に犯罪があることから目を背けてきたことに気付きました。それではいけない、犯罪を起こしてしまった人たちにきちんと手を差し伸べていかなければ何も変わらない。目を背けることで、さらに次の犯罪が起きるんだったら自分が裁判員として関わった意味がないんじゃないかと思ったのがそういう活動の発端です。本音を言えば、こうした活動をやっても基本的に何も利益はありませんが、それでもやっています。
 
今後の課題と展望

 まとめとして今後の課題と展望をお話いただきたいと思います。
田口 そうですね、総じて感じている「課題」は、まず法律専門家の皆さんが専門家然としないこと。それがまず1つの課題だと思うんです。一方で、私たち市民が、自分が被告人になるかもしれない、あるいは自分が司法のユーザーであるという意識を持つこと。もうちょっと大袈裟な言い方をしますと、この国の主権者であって社会を構成する主体なんだという意識を持って裁判員制度、さらには社会を捉えれば少しずつ変わっていくんじゃないかなと思います。少なくともLJCC含めて、自分の周りの裁判員経験者は裁判員をやったことによって、気付いて少しずつ変わっていこうとしています。蒸し返すようですけど、死刑について、このままじゃいけないんだと、何か変わっていかなきゃいけないんだと思っていた矢先に執行され、深い憤りと失望を感じています。
 「展望」ですが、展望と申し上げましても、裁判員制度自体は司法制度改革のなかで、ものすごい画期的な変化だと思いますが、さらにいえば、この講演会の第1部登壇者の安岡崇志氏のお話にも出ました、裁判の前の捜査、逮捕、取調べ、勾留。あるいは裁判の後の収監から社会復帰。こちらは今年度の守屋賞受賞団体「NPO法人監獄人権センター」の活動と関わるかもしれないですね、収監から社会復帰は一連の問題です。このように、裁判の部分だけを切り取って考えるのではなくて、その前後を総合的に、専門家と裁判員になるかもしれない主体である一般市民が共働して考えていくという環境が、もっともっと作れればいいんじゃないかと思います。裁判官、裁判所の方々にこそ、きょうのような場に来て話を聞いてほしいなと強く思います。
 ありがとうございました。もう少し時間がありますので、会場からご質問、ご意見等ありましたらよろしくお願いします。
 
死刑制度について思うこと

質問者A 例えば死刑制度がなくなって無期懲役が増えると収容の費用とかどうなるんでしょうか。税金がすごくかかるんじゃないですか。さらに、犯罪もすごく凶悪化しています。そういうことも考えると、死刑制度をなくすのはどうなんだろうか、と自然な疑問が湧きます。
田口 ごめんなさい、こう言って逃げるわけではないですけど、僕はプロではないので制度問題の具体的なところはわかりません。しかし、少なくとも無期懲役の問題については、コストの問題とはまた違う問題ではないかなと僕は思っています。これはあくまで専門家ではない、市民である僕個人の考え方です。
 僕はアメリカとかで行われている終身刑についても、あまり肯定的には見ていません。死刑の代替刑としての終身刑について、現実的な具体策としてはよいのかもしれないですが、それ自体を僕は是認できません。なぜなら、終身刑のような出所する見込みのない、希望のない収容というのは絶望的なもので、想像するだけでも身の毛がよだつからです。
 とはいえ、乱暴なラディカルな言い方をしますが、死刑にしてそれでチャッと終わらせ、それ以上コストがかからなければよいとする考えは、人として、倫理的な感覚としてどうなんでしょうか。
 今からお話することは一度、NHKのカメラの前で話しましたが、結局放送には使われませんでした。これまでは裁判官裁判での死刑判決でした。それが今は裁判員裁判の時代になって裁判員による死刑判決になりました。つまり、これまでは国家による合法的な殺人だったのが、今は国民による国民に対する合法的な殺人行為になったと僕は捉えています。
 僕はすべての裁判員裁判に裁判員として関わっているわけではありません。ですが、つい一昨日行われた死刑執行で、一億何千万分かの一の責任で僕は人を殺したんだなという実感を持ち、陰鬱としています。その意味で、僕は罪深いです。こういうと言い過ぎかもしれませんが、その恐ろしさというのを皆さんに知ってもらいたい。戦争や安保法制に関わる議論のなかで「人を殺したくない」と主張される人たちがいらっしゃいますが、死刑制度を是認するということは人を殺すということを是認するということになると僕は思います。僕は人を殺したくないです。僕が一昨日の死刑執行を大変ショックに思ったというのはそういう意味からです。僕は一昨日、人を殺しているんです。制度としてそういうことが始まったと思っています。言いすぎかもしれませんが、国民同士による殺し合いみたいなものが始まったんだろうなって、そういう恐怖感みたいなものを覚えているんです。あまり質問の答えにはなっていませんが。
質問者A ありがとうございました。
 
被害者等参加制度の改善

質問者B 「提言書」の12番目、「被害者等参加制度の運用改善をすること」という項目について、裁判員として被害者参加制度についてどんな点を改善すればよいとお考えか、具体的にお聞かせください。
田口 被害者等参加制度がある裁判において、裁判員は感情的に流されやすい傾向がどうしてもあります。被害者等参加制度が利用された死刑裁判の裁判員経験者から聞いた話ですが、裁判員の目の前で示される被害者の感情と行動は大変峻烈なものだったそうです。その事件は争いがない事件だったそうですが、例えば被告人が「自分はやっていません」と争っている裁判だった場合、有罪かどうかが決まる前の段階から被害者が法廷にいて、意見陳述なんかで「この人を絶対に死刑にしてください」とかって言うことそれ自体、どれぐらい合理的なものなのかなという感想を持ちました。ですので、事実認定と量刑判断を分けて、有罪と認定された後に被害者のご意見を聞くっていう、いわゆる手続二分論がおそらく理性的な判断だろうと思います。
 
裁判員裁判の判断が覆ることについて

質問者C 一審は裁判員裁判で死刑判決、二審で無期懲役になったケースが2件ぐらいあったと思うんですが、あるメディアは裁判員制度の趣旨に反するという批判的な意見を出していました。この点について私は、日本は三審制ですから二審で無期懲役が出ても当然だと思うんですが、死刑判決に関わった裁判員経験者はどういうお気持ちなのかをご存じでしたら是非教えてください。
田口 その裁判に関わった裁判員経験者は、二審で覆った当初は「自分の判断が間違いだったのか」と大変混乱されておりました。ただ、「だったら裁判員制度やらなきゃいいんじゃないか」ということは言っていませんでした。
 さらに、自分たちが裁判に関わった何時間か何週間かという時間はなんだったのかと、俗に言う無力感みたいなものに苛まれていらっしゃいましたが、時間を置くなかで、「よかったのかもしれない」と言うようになりました。これは決して、さっき死刑制度に関するお話のなかで僕が言った感傷的な「自分は人殺しはしたくない」という意味合いではなくて、それとは別次元の話です。時間を置くなかで、裁判に臨む前提として、自分たちの判断が100%合っているとは限らないし、間違いだって起きるんだという前提で臨んでいなかったということに気付き、二審、最高裁で別な視点で見てもらって精査してもらうことはよかったんじゃないかということです。
 ご質問の死刑判断に関わらず、一審の裁判員の判断が高裁で変わったということについても同様のことがいえます。
 
「死刑執行停止の要請」について国からの反応

質問者D 「死刑執行停止の要請書」をお出しになって、政府、国家の側からの反応、反響があれば教えてください。
田口 正式なレスポンスというのはありませんでしたが、これを提出したのが2014年2月17日で、たまたま翌日に当時の谷垣法務大臣の定例記者会見があり、記者からの質問として間接的に答えてもらいました。それが谷垣さんの考えなのか、法務省としての考えなのかはわかりませんが、「執行停止」は法的措置がない限りはできないと。それから「情報公開」も、これがちょっと不思議なんですけど、死刑確定者ご本人の、あるいは被害者、事件関係者のプライバシーの関係上、今以上にする必要はないと。それから「国民的議論」に至っては国会で国民の代表たる国会議員が議論しているからいいんだと。そういうご回答でした。
 
今後の展望

 最後に、私が聞いていないことや、言い足りないことがあれば一言お願いします。
田口 先ほどまとめたつもりでいたので、なかなか、ぞうきん絞るような状況なんですけど。あえて申し上げれば、きょう会場で配布した資料を自分で読み返してみて、他人事のようなことを言いますが、すごく気張ってやっているなぁと思います。たかだか5年前に1回裁判員をやっただけで、何をこんなに夢中になっているんだろうと、客観的に思ってしまいました。ただ一方で、一昨日の死刑執行のようなことがあると、もっともっと声を上げていかなければならないと痛感しています。きょうは第2部の表彰式で守屋賞をいただきましたし、第3部ではこんなに貴重な場にお呼びいただき大変有難い限りですが、まだ今後もっともっとやっていかなければ、何も変わらなくなってしまう。裁判員制度自体が大きな司法の変革かもしれないですが、行動しなければここで止まって何も変わらないという危機感を改めて感じまして、もっともっと今後も精進していきたいなと思います。皆さんのご声援をひとつよろしくお願いいたします。きょうはありがとうございました。
 

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